情熱のありか

最近、茨木のり子さんの「倚りかからず」*1という詩に出合って、そこには自分が進もうとする方向に共鳴する境地が示されていると思いました。

「できあいの」思想、学問、宗教にもはや、「倚りかかりたくない」。
「いかなる」権威にも倚りかかりたくないという境地です。

「倚りかかりたくない」というのは、「いらない」ということとは全然違うニュアンスがあります。
僕は、思想や学問や宗教に、身を委ねないという意志を見ます。

依存しないこと。
自立すること。
自分で責任をとれること。
他人に責任を押しつけないこと。

どこか凄いと思える、思想や学問や宗教を、模範としたり、真似たり、信じたりすることはあるし、大切なことです。

現に僕は、何かを信じています。

そして、「倚りかからない」ためにこそ、自分が気になる学問や思想、あるいは信仰が兆している宗教について、しっかり学ぶことは必要だと思っています。

その際、肝心なのは、自分自身の情熱と、思想や学問や宗教のなかに、良くも悪くも、蓄積されている他者の情熱を、注意深く選り分けることだと思います。

僕たちは、しばしば他者の情熱が発する熱気を感受して、自分の情熱と勘違いしてしまいます。
自分の情熱と他者の情熱を区別して初めて、自立し責任ある生き方が出来るのだと思う。

*1:「よりかからず」と読みます。